宮城県塩竈市で開催されている「塩竃フォトフェスティバル」の第6回目の開催日程が2018年3月7日~18日に決まった。人口5万3000人、人口当たりの寿司屋の数が日本一ともいわれる漁港の街で2008年から始まった写真のイベントは、次回、どんな内容になるのか――実行委員長の写真家・平間至さんと、インディペンデント・キュレーターの菊田樹子さんに、フォトフェスを始めた経緯やイベントにかける思いなどについて改めて伺った。(2017年10月インタビュー)
——塩竈フォトフェスティバルとはどんなイベントですか?
平間至(以下、平間):2008年から私の故郷の宮城県塩竈市で開催している写真のイベントです。2016年3月に開催した5回目の前回は、一般応募の写真を講評するポートフォリオレヴューと「家族」をテーマとした写真展の2本柱で開催しました。写真展はオランダのクリエイターのエリック・ケッセルスさんのコレクション展示をメインにして計4カ所で開催しました。期間中に計5000人の方に来場いただきました。
——そもそも「フォトフェスティバル」というのはどういうものなのですか?
菊田樹子(以下、菊田):写真関係の展示やワークショップ、ポートフォリオレヴューなどを一定期間で開くイベントのことです。日本では北海道上川郡東川町の「東川町国際写真フェスティバル」が有名です。国が助成金を出し始めたことなどもあり、地域おこしなどの目的で開催するところが全国的にも増えています。それぞれの差異化が必要になってきている局面ということでもあります。
——塩竈フォトフェステバルを始めたきっかけは何だったのですか?
平間:10年ほど前の2006年に、塩竈市から何かイベントができないかと声がかかりました。私は2012年から「GAMA ROCK FES」という音楽イベントを塩竈市で開催していますが、当時も、音楽のイベントがいいのか、写真のイベントがいいのか随分悩みました。最終的に形になったのがフォトフェスです。
私は塩竈市に文化施設の「ふれあいエスプ塩竈」がオープンした1998年ごろから、こうした施設での写真展を開催するようになりました。元々は塩竈市からの依頼がきっかけです。エスプには、塩竈市出身でマンガ雑誌「ガロ」の初代編集長だった長井勝一さんの「長井勝一漫画美術館」も設置されています。そんなスペースができるなら、自分でも何かできるのではと思いました。当時は写真を展示できるような大きなギャラリーは塩竈市にはなかったですから。
それから写真展を続けていたこともあり、当時「ふれあいエスプ塩竈」の館長だった渡辺誠一郎さんからイベントの相談を受けたんです。ですから、イベントの目的は塩竈に足を運んで、塩竈を体験して欲しい、ということなのです。最初は、写真の作品を講評するポートフォリオレヴューを中心に始めたのですが、これは海外で仕事をすることが多かった菊田さんのアイデアです。
——菊田さんは、どのように関わっていたのですか?
菊田:私は塩竈とは接点がなかったのですが、ある仕事をきっかけに平間さんと親しくなり関わるようになりました。平間さんにお願いした撮影で、最終的に撮っていただいた写真を公開できなくなってしまったことがあったのです。そのときの平間さんの対応がとても寛大で、助けられまして……。その後、写真館の方が集まる仙台のトークイベントへの出演を依頼されたのですが、そのときに塩竈で食事をとりながらフォトフェスティバルの話を聞きました。
私はヨーロッパで仕事をすることが多いので、日本でフォトフェスティバルをとてもやってみたいという気持ちもありましたし、フランス料理店「シェヌー」の料理がとても美味しくて(笑)。先ほど名前がでた渡辺誠一郎さんなど、魅力的な人が多かったですし、塩竈は食風景もそろっている街だと思いました。ポートフォリオレヴューは私がやってみたくて企画したんです。
——ポートフォリオレヴューというのは、どういうものなのですか?
菊田:ポートフォリオレヴューでは、作家が「ブック」と呼ぶ作品集を見せて、これを講評してもらいます。塩竈フォトフェスティバルの企画をしていた2006年ごろのヨーロッパでは、作家がすぐにチャンスをつかめる仕組みができあがっていました。いい作品がでてくれば、これはどこのギャラリーや学芸員だと相性がいいのではないか、とすぐに連絡してくれたりします。写真家には参加するメリットが大きいのです。作品を見るほうも、いろいろな作品が見られるし、気に入った作家にすぐ依頼できたりするわけです。
日本の若い写真家の人たちは、自分の作品をプレゼンすることが苦手なのではという思いもありました。ヨーロッパの人たちは、ギラギラしていて、用意も準備万端だし、否定的な意見を言ってもそれを受け止めてくれて、議論ができます。日本の写真家はシャイなところがあって、コメントも少ない。ポートフォリオレヴューを通じて、作品を説明する場がふえれば、自分の作品をどう伝えればいいのかわかる。チャンスを広げる場があればと思いました。だから、塩竈フォトフェスティバルのレヴュアー(講評者)はできるだけ、決済権のある人にしています。編集部であれば編集長とか、写真集を扱っている出版社の代表とか。そこでチャンスをつかんでほしいなと思っています。
——塩竈フォトフェスバルのポートフォリオレヴューはどういうところが特徴なのですか?
平間:大きいスペースに複数のレヴュアーが同時にいて、公開しながら講評するのが特徴です。杉村惇美術館で開催しているのですが、複数のレヴュアーが広いところで同時にレヴューするのは新しい試みです。若い人たちのチャンスとして、ひらけた場所でやりたかったんですよね。
菊田:7人前後のレヴュアーが40人くらいの作品をレヴューします。1人が2人のレヴュアーに見てもらえる計算です。講評者が1人で10人くらいをレヴューする中から5人の作家を選ぶのが一次審査。その後5人の作品を審査員全員で講評して大賞を決めています。
平間:参加者の7割くらいは県外からきていますね。東京も多いですが関西や九州からも来てもらっています。
——大賞をとると写真集を作れるのですよね?
菊田:写真集を作っているのと、次回のフォトフェスで作品を展示してもらっています。写真集を作るときも、例えば、編集、デザイン、校正、奥付を作ったりなど様々な工程がありますが、細かいやりとりをしながら作家とつめるようにしているんです。こうして1冊作れば、もう2冊目は自分で作れる力がついている。教育プログラム的にやっている面もあります。写真集の予算は潤沢ではないですが、写真集として売るというよりは、自分が本当に作りたい作品集を作ってもらうようにしています。
平間:例えば初回の大賞をとった藤安淳さんや第3回の大賞の倉谷卓さんの写真集は、坂本龍一さんのCDジャケットなども手がける中島英樹にデザインを担当してもらいました。第2回の大賞の天野裕氏さんの写真集の時も、アドバイスをいただいています。通常なら、最初の写真集を自分で中島さんに頼むのは勇気がいると思いますが、フォトフェスで大賞をとればこうしたことを手助けすることもできます。
藤安淳さんは双子のポートレートを撮り続けていますが、フォトフェスで受賞したことで、写真家になることを決めました。パリの写真集の賞を取り、着実にキャリアを積んでいます。08年のフォトフェスティバルで塩竈賞を受賞した磯部昭子さんは、星野源さんのCDジャケットの写真撮ったりして活躍しています。みんなが継続的に自分のペースで活動しているのがうれしいですね。
菊田:写真界では、塩竈の名前は広がっているんですよ。参加した人たちが活躍しているので。
——地方で開催するデメリットというのもあるのではないですか。
菊田:私も最初は、地方での開催はマイナスなのではないかと思いました。ただ実際にやってみると、違っていました。ポートフォリオレヴューのときは、レヴュアーの方たちも塩竈に宿泊してもらうわけですが、その分じっくり集中してみてもらえるんですよね。東京でやると忙しい仕事の合間にみてもらって、レヴューが終わったあとにまた仕事に戻って、ということになりがちですが、塩竈の場合は、講評者もあきらめているというか(笑)。
平間:音楽のライブでもそうですが、東京のライブは終わったらスタッフも帰る。でも地方でのライブなら、そのまま打ち上げにいくことが多いです。地方は密な感じを持っていると思います。都会だったら、それぞれが、家に帰らなければなりませんからね。
菊田:夜中まで宴会につきあってくれるレヴューワーも多くて、ありがたいなと思っています。あと、レヴューに参加する写真家同士の良い出会いの機会にもなっているようです。
平間:地方でやっている理由の一つは、消費されない作家活動をしてほしいということでもあります。都会は消費サイクルが早く流行に敏感であらざるを得ません。地方なら、そうはならない。大賞も、都会の価値ではなく、撮り続けるテーマをもっている人にあげたいと思っています。
——フォトフェスティバルの大きな目的の一つは、塩竈への訪問者を増やすことだと思いますが、市民からの評価はどうでしょうか。
平間:ポートフォリオレヴューは、関わっていただいている方には高く評価されているのですが、関わっていない人からみると「何やってるんだろう?」と見えるのが課題でもあると思っています。そこで16年からは、企画展示を始めました。エリック・ケッセルさんが収集した家族アルバムの展示はとても面白い内容でしたし、誰もが何かを感じていただける展示だったのではと思っています。
今は歴史的にみても写真を撮る人がもっとも多い時代だと思います。写真は、敷居が低くて間口が広い。一方で作品として考えると、絵画と同じくらい深い表現手段です。この二つの側面をもっているのが写真の大きな特徴です。ですから、写真にちょっと興味がある人でも、本格的に写真と関わっている人でも、どちらも満足できるフェスティバルにしたいと思っています。
——写真のイベントを地元に根付かせていくのは、とても時間がかかるのではないかと思います。
平間:日本人は写真好きというよりも、カメラ好きです。「カメラ」は機械で「写真」は表現なので、実は大きな違いがあります。日本は表現手段としての写真に対する理解がヨーロッパなどより遅れているのかもしれません。
菊田:地元の人に理解してもらうために、これまで色々なトライをしてきました。例えば、瀧本幹也さん、三好耕三さんをはじめとする有名写真家に塩竈を撮り下ろしていただいたり、平間さんが撮影会を開催したりしてきたんです。ただ、市民の方に親しんでいただいているというところまではいっていません。さらに来場者を増やすにはどうするか、頭をひねっているところです。
平間:その一つが「SGMA(塩竈フォトフェス)写真部」の結成です。フォトフェスティバルの開催は2年に1度です。開催していない時期にも継続して活動できないか考えていました。写真部は今年(17年)の5月に募集して7月から活動を始めましたが、2カ月に1度のペースで、写真のワークショップを開いたりしています。フォトフェスのときには写真の展示も予定しています。
——今後、どういうフェスティバルにしていきたいですか?
平間:まずは塩竈以外のところから、塩竈に足を運んでもらうことです。そして、地元の人に積極的に関わってもらえるイベントにしていきたいと思っています。写真を制作している人、単に写真に興味がある人、どちらが来ても満足して帰れるようにバランスがとれたイベントにしていくのが理想なんです。誰もが納得できるクオリティーを保つことを意識したいと思います。
菊田:私は、塩竈フォトフェスティバルは、日本一のフォトフェスティバルにできるとなぜか初めからずっと信じているんです。街が持つポテンシャルがそう思わせるのだと思います。やりたいことはたくさんありますが、まずは、塩竈フォトフェスティバル独自の切り口で、展示やイベントを作り続けることを大切にしたい。普段は見逃してしまっている感性や価値観を、少し立ち止まって感じて、考える機会になればと思います。
(2017年10月インタビュー)